あまり自分のことを書いた事がないので、ちょっと紹介がてら書いてみようと思います。
福島県、某所出身。
母親の実家が只見町で里帰り出産だったので会津若松市で産まれる。山深い只見町では、産院がなかったため、若松市まで産みに行ったのだ(これが後ほどまあびっくりな事に発展する)
産後は県内某所ですくすくと育つ。
小学校はフツーだったと思う。田舎だったので、山で遊んでた。結構ワイルドな小学生でした。
中学校は、みんな一緒じゃないといけない雰囲気だったのでフツーのフリをしながら卒業。学校は面白くなくて激しく暗黒時代。この頃、勉強は頑張ってた。
高校はうっかり進学校へ行ってしまったが、勉強についていけず最下位へ。
勉強はできなかったが、女子校だったせいもあるのか学校生活は楽しかった。
最下位過ぎて、赤点の数は数知れず…。(進学校で1桁台取ってた…)
出席日数を稼げば何とか卒業できると思い、真面目に登校する。
が、あまりに馬鹿すぎて、大学進学が危ぶまれ、高一の後半で美大進学を目指す事に。今思うと、普通レベルの高校に入って推薦で美大に入ればよかったと激しく後悔する。
美術が心底好きだからというよりも、美術がほかの科目よりまともに点が取れてたので「美術しか、わたしに進学の道はない!」と思い、デッサン教室へ通う。
なんか、美術も向いてないかも…と思いつつ、デッサン漬けの日々。まあ、向いてないと思いつつも、めちゃくちゃ描いたのでどこの美大受けても受かるレベルの画力はつきました。
ところが、勉強はサッパリできないまま、受験!
私立美大の授業料はべらぼうに高いので、国立の教職免許が取れる美術科を狙っていたのですが、センター試験に失敗し国立の夢は敗れ去った…。
センター試験、前日に食べたトンカツに当たり、当日激しい腹痛に…!たぶん、緊張で寝れず、その上脂っこいトンカツを食べたせいだと思う…
母親が験担ぎで出してくれたトンカツに、わたしは負けてしまったのだ。
その時のトラウマか、トンカツは食べられなくなりました(笑)
母の事はいまだに恨んでます…というのは嘘で、笑い話で終わりました。
センター試験を見事に失敗したので、残るは授業料のお高い私立美大のみ。私立美大は短大が1校受かり、私立美大の四年制が1校補欠で受かりました。
わたしの学生時代、補欠はほぼ入れると先生に言われ、わたしは受かった気でいました。
ところが…、わたしの補欠番号の1つ手前で合格が決まってしまい、わたしは不合格に…。
なぜ、一個手前で切られる?
どんだけ運が悪いんだ…。
かなり悲観的になりましたが、短大は受かっていたのでそこに入学する事にしました。
トンカツ同様、家族の間では笑い話になりました。「お姉ちゃんは、一個手前で切られたね!」
わたしの大学受験は、トンカツで話が始まりトンカツで終わるようになりました…。
ということで、不本意ながらも短大へ行ったのですが、これが思いのほか楽しかった!
座学の西洋美術史、インテリア概論、染色概論、写真学…。
どれもこれもマニアックで、とにかく授業が楽しかった。
中、高のわけのわからない勉強の全てが消し飛んだ感じだった。
なるほど、学ぶというのはこういう事なんだな、と実感した。
興味のない事は学んでも頭に入ってこないのだなあと思いましたわ。
それにしても、中、高の勉強がいかに無駄だったか…。全部寝てすごしてたもんね!
あ、無駄だったのは、わたしの場合であって、人によっては無駄じゃないと思います…。小、中、高で勉強の楽しさに目覚めた人は素晴らしいと思う。
わたしはその目覚めが遅かったという事なのでした。
短大はかなり充実した期間でした。結局、専攻科まで残り、4大に編入も考えていたのですが、親から授業料、生活費がかかり過ぎるのでストップがかかり断念しました。
短大の時の友達は皆マニアックで変人ばかりなので、変人なのはわたしだけじゃないんだ、という妙な安心感にも包まれ、無事に卒業まで至りました。
そんなこんなで、勉強はやりたい事をすべきだなと思いました…