コロナ備忘録その2です。
こちらはその1↓
18日金曜日、旦那さんは夕方、自身が勤める医療機関でPCR検査を受けてきたそう。帰ってきたのは0時…。待ってたけど途中で寝た。
翌日19日土曜日も朝早く職場へ出かけていった。PCR検査の結果が出るのは夕方だがいろいろやることがあるのだろう…。
もう昨日は結果が出る夕方までドキドキだった。とりあえず子供たちは庭で雪遊びをさせる。
そのあと自宅待機だけど近所の自販機まで車で行き子供達の飲み物を購入。子供達は休みの日にコンビニでお菓子を買うのを楽しみにしているのでその代わりに自販機の飲み物で我慢してもらう。
昼は家にあるもので簡単に済ませた。
旦那さんはいつもだと土曜日は13時には帰ってくるのだが、結果が出るまで帰れない。
もし陽性だったら…うちらもPCR検査。支援学校、幼稚園、児童デイに連絡しなければならない。
あと最悪なのが水曜日の日に自閉症の娘が通院している病院でMRI検査をしてきたのだ。じっとしていられないので点滴で眠らせてからのMRI。なので半日入院。普通の子供なら20分ほどで済むのが自閉症児だと1日ががり。何気にすごく大変だった。
それはさておき、もし旦那さんが陽性で娘に移っていたらそこの病院にも連絡しなければならない。万が一そこのスタッフに移っていたら大変な事になる。
夕方まで頭の中でいろんな想定をしてしまいクラクラしてしまった。
旦那さんから「17時くらいに検査結果がわかるらしい」というLINEが入った。
そこからが長かった。「なかなか結果が出なくて動けない」とLINEが入る。こっちもヤキモキする。
子供達が寝たあと20時過ぎにLINEが入った。
「再検査になってます」とのLINE。
ぎゃー、再検査…。陽性って事?ところが「また後から結果が来る」とLINEが入る。なんだかよくわからない。
20時半の時点ですでに旦那さんの医療機関がネットのニュースで出ていた。その感染者数がなかなかの数。
その後またLINEが入った。
「陰性でした」と。
ほっと胸を撫で下ろした。
とりあえず、次の日の新聞に載る前に実家に連絡した。新聞見たらびっくりするだろうから。
電話に出たのは母親だったんだけど「テレビのニュースで見た!大丈夫だったの?」とすでに知っていた。
さすがはテレビ世代。いや、こういうの地方の情報はネットよりもテレビやラジオの方が早いのかもしれない。
安心はしたけど、どっちにしろ支援学校、幼稚園、デイには連絡をしないと。その辺を旦那さんとLINEで相談。
結果、学校等は年内は休ませる事にした。
陰性だけどここまで感染者が多いと向こうも気を使うしこっちも気が気じゃない。誹謗中傷などないと思うがここは休ませた方がいい。
これから帰るというLINEが入ったのが23時。
で車の雪が溶けるのに30分かかり結局帰ってきたのが0時過ぎ。
夜ご飯は補給物資の出たそうで食べてきたとのこと。牛丼だったそうな。
「なんか原発事故を思い出すよね…。今回もこう言ったら不謹慎だけどギリギリセーフって感じ」と私が言うと…
「原発事故事故といえば、またあの白い防護服を来た。保健所と医大から派遣された人に移さない為にまた着ることになるとは…」
そう、旦那さんは10年前の原発事故の時も防護服を着たんだった。なんで着たのかは忘れた…。本人に聞いたら覚えてるかも。
2回も着ることになるとは…よほど防護服に縁があるのか。2度ある事は3度あるで10年後にまた着ることになったりして。
ギリギリ原発事故セーフの話↓
で、旦那さんはしばらく家に帰ってこれなくなりました。感染して大量にスタッフが抜けたのでその分フォローしなければならない。
旦那さんがやってた動物の世話とお風呂掃除、その他の見えない家事はしばらく私がやる事に。どうしよう、お風呂掃除完全に任せてたのでやる自信がない。
ハムスターの世話はできるけど、熱帯魚は無理だな。見えない家事は無視しよう。
というわけで、結果は陰性でしたがしばらく自宅待機のような生活になりそうです。
こちらの画像、旦那さんが帰ってくるまで手持ち無沙汰になり苺のケーキを作りました↓
人間、何かしてないと不安になるようです。